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BOSEは1日にしてならず

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ふと思い出す父の言葉(20年前の話)

なんて書きだすと、もう他界しているかのように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。

今思えば長男のボクは大切に育ててもらっていたんだなぁと思います。
子どもの大切に育てない親なんて(ほとんど)いない、というのは大前提であるのですが、欲しいものはほとんど買って貰ったし、行きたい学校にも通わせてもらうなど、考えてみればなに不自由なく育ててもらったと思います。

というのも現在は中学生・小学生の子を持つ親となり、子供らのしたいことをさせてあげられているかというと、おそらく半分くらいしか実現できていないと感じています。大した要望でなくても、忙しかったり疲れていたりを言い訳にして実現させてあげられていません。

40歳を手前にして、同じところに立って、改めて・・・いや、初めて親の偉大さに気づいた訳です。

そんな好き勝手をやらせてもらっていたボクは、高校が終わると自転車で並走して彼女の家まで送って行っていました。自宅とはまるで逆方向に。
一緒にいるだけで幸せだったボクは外環の歩道橋で夜が更けるまでずっと話していました。ええ、青春です。

ある日彼女を自宅まで送ったボクは夜の10時頃自宅に向かって自転車をこいでいました。すると突然タイヤがパンクしてしまいました。
自宅までは15kmくらいあります。とてもじゃないですが押して帰るのは無理です。
当時はケータイ電話なんてありませんでしたから、あちこちにあった緑の公衆電話で自宅に連絡して父に軽トラで迎えに来てもらいました。

父は特に責めることもなく黙って運転していました。
ボクにはその沈黙が辛かったです。そんな時父が一言つぶやきました。

「母さんを心配させることだけはするな」

その一言が心に刺さりました。他に言葉がなかった分より深く受け止められたのかもしれません。

今父親になり、子どもらにとっての母親、つまり奥さんの努力には感謝をゆうに通り越して関心、いや尊敬をしています。
なによりも生活の中心に子どもが居て、自分よりも優先して彼らの幸せを考えています。本当に頭が下がります。

そんな今だからこそ、あの時の父の言葉が蘇ります。
母もボクをそうやって育ててくれていたんだと思います。
家族に改めて感謝する、そんな一言です。