ゲームの思い出~1987年12月18日の出来事
ファミリーコンピューター
ボクのこどものころはファミコンことファミリーコンピューターの全盛期だった。
放課後は校庭でサッカーした後にファミコンがある友達の家に集まってファミコン大会を毎日していた。
時間の経過と共に普及率は高まり、クラスの半分以上の家庭にはファミコンがあったと思う。
そのきっかけとなったのは1985年9月13日に任天堂より発売されたスーパーマリオブラザーズだった。
初めてプレイしたときの感動は今でも鮮明に覚えている。
歩く(十字キー)走る(Bボタン)ジャンプする(Aボタン)
この基本操作の組み合わせでマリオは様々な動きをしてくれた。
操作することが楽しく、ワールドのあちこちに行くことが純粋に面白かった。
翌1986年にはディスクシステムが発売される。
ファミコン本体14,800円にディスクシステム15,000円を買い足せるのは裕福な家庭だけだった。
ゲームショップがなかった時代
ファミコンブームが訪れると模型店や人形屋でも取り扱うようになった。
さらにはファミコンショップなる専門店が出来て、品揃え豊富かつちょっと安くソフトを買えた。
中には30分100円で好きなファミコンソフトを遊ぶことが出来た。もちろん思いっきりルール違反だ。
遊び方が大人数→個へ
1987年1月26日に王道RPG ドラゴンクエスト2悪霊の神々が発売されると、みんなで集まって遊ぶスタイルからから徐々に一人で黙々と遊び、その内容を学校で情報交換するようになっていった。
時はそんな年の暮れ。1987年12月18日の話。・・・前置きが長すぎた。
1987年12月18日の出来事
学校から帰るや否やおこづかいを握りしめファミコンショップにむかった。
目的はこの日ナムコより発売されるアクションゲーム「カルノフ」を買うためだ。
当時のボクがどうやってカルノフを知り、どこに惹かれ購入に至ったかは覚えていない。
ただ猛烈に「カルノフを買って遊びたい」と熱い気持ちになっていたことだけは覚えている。
チャリを飛ばしてマルエツを超え、中華料理永楽を超え、東武野田線を超えた先の角にあるファミコンショップに着くと、見たことのない行列ができていた。
それを目にしてボクは焦った。
なんだよカルノフすげー人気じゃん。やばい売り切れて買えないよ、と。
諦めるわけにはいかないと列に並ぶ。
すると店のおばちゃんがよくわからないゲームソフトの名前を叫んで、今日は何本しか仕入れていないから並んでも買えないよと説明していた。
えっカルノフじゃないの?
すこし混乱しつつ列を離れ、おばちゃんにカルノフはどの列に並べばいいのか尋ねた。
おばちゃんは、あ~、というと列を横目にボクを店に入れてくれた。
こうしてボクは無事にカルノフを買うことが出来た。
ボクは急いで家に帰り、カルノフで遊びまくった。
少しして、ファミマガ(ファミリーコンピューターマガジン)とファミコン通信(ファミ通)の誌面があるゲームの特集で埋め尽くされた。
おばちゃんが叫んでいたゲームタイトルがそれで明確になった。
それは「ファイナルファンタジー」だった。
あの行列はファイナルファンタジーを求めるファミっ子の列だったのだ。